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還暦デビュー最終章 [還暦デビュー雑感]

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六十歳の還暦を経て九年が過ぎた。もうそろそろ「還暦デビュー」もお仕舞いかな…と思う。
還暦を迎えた頃は様々なことをやりつくして一段落ついた感じもあり、ここらで人生を総括して振り返ってみようと思っていたが、あっという間に時が過ぎた感がある。
六十歳になったばかりの頃はまだ頭も聡明で、これまでの人生から発見したことや気づいたことなどあったが…最近では集中力の持続が衰えて、深い洞察とか思索がスッキリまとまらない事がある。弱ったものだ、これが老化というものだろう。弱ったものだとは言ったが、これは当たり前で自然なことなのだ。いたずらに否定的に考えることはない。自身の老化を素直に受け入れてそれに対応してゆくこと。これは昔から祖先たちがやって来たことなのだが、なぜか今の社会は否定的に捉えているようだ。

「素に戻る」これが現在の感覚だ。
一期一会。一度きりの人生。そう考えた時に辿り着いた応えが「素」に戻ることだった。私はいつの間にか “素裸”の気持ちで “素直”に生きる事を忘れてしまっていたようだ。

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この世を過信せず否定もせず、人間を過度に愛さず離れもせず、作りこまれた自分自身を脱ぎ去って恐れずに生きるということを知る。
残りの命の使い方に気づかされる日々の連続である。

<還暦デビューブログはこの章をもって一旦終了といたします>

※令和4年8月吉日・了

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これからの私の課題をピックアップする [還暦デビュー雑感]

還暦も過ぎてそろそろ終活を意識する時期にもなって来たが、これから先の私の取り組むテーマを思いつくままに羅列してみた。

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☆生きる事と死ぬ事について~そろそろ見極めたい生死観

☆真理と真実と、そして現実と~私は何を選択するのか?

☆無常論の先に在るもの~それでも限りある命を生きている

☆矛盾の中に在る答え~理路整然の誤魔化しと異形の真実

☆ネガティブ・ケイパビリティ~観点をシフトチェンジする

☆過去・現在・未来…時を越えて言葉を越えて生命を越えて

etc.etc...

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囚われず越えてゆくスタンス [還暦デビュー雑感]

時代に生きれば良い。
しかし時代に囚われてはいけない。

若い時代は試練と言う意味も込めて、時代の流れに乗りながら社会の価値観を受け入れながら、世間の荒波に身を任せて生きるのが最良だと考える。
が、しかし人生も還暦を経て古希を迎えようともする者なら、そろそろ社会通念を超えて人として生きる道を考えるのも一興だろう。かつて '70年代のドロップアウトとは違う、ロールオーバーという意識なのだ。

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生きることが人間にとっての本懐ならば、囚われずに生きる事こそ真の姿と云えるだろう。
「言うは易く行うは難し」で囚われない生き方は簡単ではないが、それをめざすある種の痛みと苦しさの中に真の自由な生命を発見することだろう。

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還暦の陰鬱な側面 [還暦デビュー雑感]

確かにこれまで自分自身が還暦を経た同世代だったために、還暦を経た者をまるで代弁するかのような口調で語って来たかも知れない。そしてそれは時には還暦者(という言葉を仮に使わせてもらう)を美化して説明していたかも知れない。ある本を読んでいてそんな自分の還暦者の捉え方に欠陥を感じた。
還暦を過ぎて年季の入った高齢者だからといって、そんなに高邁な精神を持っているわけではない。場合によっては若い人たちには考えられない様な愚かで醜い面も持ち合わせている事だってある。人間性の問題は年齢とは関係ないというのが本当のところでしょうね。
ある本の中には高齢者の引き起こす事件や過ちの数々がルポされていたのだが、私なりの感想を言えば「年甲斐もない」というのが事件の共通した要素だった。過分に強がった傍若無人な素振り、過剰な妄想と欲情に駆られた遅すぎた性的衝動…若かった頃の後悔をいま爆発させている姿が目についた。これも単に時代の様相の一種なのでしょうか、人というものは生きている世の中の環境によってどんどん変わるものの様に思えます。

考えてみれば自分が歳を取って並んでしまったせいか、周囲にあまり感心できる年寄りが居なくなってしまった気がする。ちょっとした仕草や心遣いが「さすが年の功」とでも言いたくなるような吾人が昔は居たものだった。そういった人を見るたびに年配の人が生きている意味というものを何となく感じていたものだった。何が変わったのだろう?どうなってしまったのだろう?戦後教育で育った事もひとつの原因なのだろうか…?
自由に自己主張が出来るようになった(と思い込んで)権利や欲望を追及してきたつもりの日々が得てきたものは、身の丈知らずのアクセルを吹かした暴走だった。若かった頃に純粋な気持ちで求めた理想は世の中で生きてゆく内に色褪せたものになってしまっていた。それはある意味で当然の事で、そうやって変質してゆく事が自然の成り行きとも言えるだろう。ただ愚かな事はその変質を理解出来ず、時には過去に戻ろうとする錯覚が起こる事なのだ。確かに世の中は変わり、過去の自分は既に変質した何ものでも無い事を潔く知るべきだろうと思う。それを知った上で、新たな生き方を模索すべきなのだろう。それが今の時代の還暦の生き様のようにも思える。

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還暦を経た高齢者の持つ陰鬱な側面を直視して、それを越えてゆく中に次の命の扉が見えて来るだろう…。驕る勿れ。

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扉はひとつではない~多次元への招待 [還暦デビュー雑感]

何かを眺めている私がいる。また別の私は角度を変えて同じものを見ている。そしてまた、それらを後方から眺めている私という存在がある。
ひとつのものを多角的に眺めることを知ると、次元を越えたもうひとつの世界のあることを感じることが出来る。
今の私には人生の最終章に向かっていることを意識して、納得のゆくあっ晴れな生き方を選びたいと思っている。

この世に在るものはすべて多彩な面を持っている。人生も同じでひとりの人間にも様々な側面が存在していて、どれを選ぶかはその人生の主である本人の業なのだろう。生まれた時代や国家という概念、両親や家庭環境の違いによって人生は自分の意図とは関係なく運命として決定づけられると考えるアカデミック派か…、自分の生きている世界を自分なりの概念に書き換えて自分の中に取り込んで世界の中心で生きるプログレッシブ派か……。実はそんなことは問題ではなくて、この世の殆どの問題はどの考え方を支持しているかによってきまってしまっているという事だ。何も難しい事ではない。
広く観れば選択肢は実にたくさんあるという事だ。但しそれぞれに条件が付いているけれど、覚悟を持てば意外と人生には多くの選択肢がある。

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生命の存在は三次元ではない。
そう考えると、命とは人間の知恵では捉えきれないもっと可能性を秘めたものだと実感する。生き死にでは捉え切れない、もっと別の視点が存在する様な気がする。そのことを知ればもっと自分に相応しい生き方も見つかるものだ。何も狭い限られた固定観念に縛られて愚痴をこぼしながら無理やり生きている事もない。勿論あきらめて自死することも無い。
数多く存在する多次元の扉を開いてみよう。「飽きっぽい」「気が多い」何と言われようと自分の人生は自分のものなのだから、好き勝手に生き方を選んでみよう。目から鱗が落ちる様な発見を経験したことがあるだろうか?それを知ったら、もう狭い過去の囲いの中に戻る気はしなくなるだろう。

ハンドルを握っているのは貴方です。舵を切るのも貴方です。人生は運命の縦糸と偶然の横糸との綴れ織りですが、それは貴方の手中に在るということをお忘れなく。 

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次元の扉 ~2021年 [還暦デビュー雑感]

還暦を過ぎて早七年が経った私のこのブログでは、やはり自分の身の丈の自分に正直な内容で埋めてゆこうと思っている。誰に向かっての発信か?どういった人たちが読んでいるのか?勿論そういったことは大切な構成要素なのだが、商業的な事を目的としていない独り言の様なものなのだから勝手気ままにやれば良い。…そう勝手気ままこそが今年の抱負かも知れない。

と、言ったところで2021年は少しばかり冒険もしてみようかと考えている。昨年からコロナ禍の保健所で働いていて一般人や患者たちと県の為政者や中央行政との乖離をリアルに見て来た。そして思った事は「これからこの国も様々な構造変化が訪れるだろうが、私たち一般庶民の高齢者は更に自衛を考えなければならないだろう」という事だった。一般的に社会は現役世代たちによって運営されてゆくもので、古い既得権を有する者たちはいずれ果てる事となる。(それが嫌だから禅譲せずに二世代三世代と同族に継がせようと画策する。特に韓国や日本の政界はそれが伝統にもなっているようだが…)
少子高齢化はますます進んでゆき、果たして高齢者と現役世代や若者世代が協調してやってゆく社会システムを創り上げるのか、それとも老兵は去りゆく如く用の無くなった高齢者は打ち捨てられる考えが主となるのか…もはや我々世代の思考では及ばない発想で時代環境は作られてゆくと思った方が良い様で、いずれにしても自助努力をするのが必須だろう。

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しかし考え様によっては、これは素敵な事なのかも知れない。世間の常識に囚われない自分の発想で取り組めるからだ。新型コロナ・ウィルスの席捲による従来の社会構造へのアンチテーゼもひと役かっているだろう。これまで常識の枠にはめられて思いもつかなかったような発想が、考え方をちょっと変えるだけで溢れる様な彩りで次々に誕生するだろう…それが21世紀なのかも知れない。
あと50年もすれば21世紀の全貌が見えてくるだろう。しかし私はそれまで生きてはいない。私の出来ることは新しい次元の扉の前に立っている事を自覚することのみだ。

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お正月に思う [還暦デビュー雑感]

還暦も越えて六十数回目の正月が来た。年越し参りは家族を置いて一人で出かけたのだがコロナ禍の中で人出は少なく、四十年近くの年越し参りの中で初めて見る人影の少ない神宮だった。時代なんですねぇ…。
これを境にお正月の風景は少しばかり変わってゆくのかも知れない。人出は戻るだろうが不要不急の判断がしっかりされて今回わかった不要と思われる事柄は来年には影を潜めているかも知れない。そしてこれまで習慣やしがらみで考える事なく続けて来た事柄が不要と判断されて切り捨てられる可能性ありだ。
時代と共に様々な物事が消えてゆくのは私の様な年寄りになると残念な気もするものだが、それも時の移り変わりの必然で要不要も時代の尺度で変遷してゆくのだろう。

お正月の風情もすっかり変わったが昔を懐かしがっていても仕方がない。自分の胸の内にしまって一人で愛しみながら楽しむが良いのだろう。「昔はこうだったああだった」と語ってもひとときの雑談でしかない。酒の肴になれば良い方だ。
この先、何度も時は巡って正月はやって来るが、豊かとまでは云わなくても一家団らんや仲間たちと過ごす正月のひと時をDNAに染みこませる機会は少なくなってゆくのだろうか…。

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閃光仮面身上書 [還暦デビュー雑感]

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この世が誕生した時から、人の憎しみや哀しみそして苦悩は生きつづけて来た。人間というものは元々、残酷で危険な醜さを持った他の動物たちと変わらない生きものなのかも知れない。だから人の知恵が神を創り、善悪という概念をつくり、モラルを作り出したに違いない。それは人間をこの世の支配者にして社会をつくるための組織力の源とするためなのだろう。しかしそうやって作り出した世の中は何か得体の知れない影の力によって牛耳られ、知らない間に一部の者を肥え太らせるための構造になってしまっていた。
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この世に「鬼」の存在する意味が明らかになった。それはこの社会にバランスをもたらす為の天の配分に違いない。古の昔から脈々と受け継がれて来た「鬼」の精神は現代となった今もひっそりと生き続けている。
▼「閃光仮面」はその姿を隠して日常の中で活動しているのだが、活動の真意や真相はほとんどの人から誤解を受けたままである。愚痴を言うまい語るまい。所詮この世は霞か霧か。毒と薬が中和して人生路傍に花咲かす。
▼「閃光仮面」は闇の必殺人とも呼ばれている。時には何者かの依頼を受けて、常人が立ち入ることのない不条理な法を超えた世界で活動する。そしてその行動を裏付けする概念を一部の人たちは『絶対正義』と呼んでいる。
▼「閃光仮面」は一般社会にオーディナリー・ピープルとして暮らしている。それは貴方の化身かも知れない。貴方の潜在意識の中に眠っている “覚醒されていない理想”かも知れない。人間がこの世に生きるために備えられた資質としてひっそりと息づいている。

手に持つアイテムは「鬼神ウィッパー」という鞭だ。手足の様にあやつる事も出来れば武器にもなる便利なものである。「閃光仮面」に凶器は要らない。悪者を駆除する事が役目ではないからだ。しかし彼等に制裁を加え恐れさせることは必要であり、「絶対正義」の前に無力である事を自覚させねばならない。

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“概念書き換え”の時機が到来する。既成の愛や平和や信頼を打ち破って、魂に鬼を発見する時がやって来た。“似非なるもの”に心洗われない事を、強さを持たない人々に知らしめるために「閃光仮面」は闇の仕事人として今日も生きる。

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時は流れ、景色は変わる。 [還暦デビュー雑感]

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「時は流れ、景色は変わる」今の私の思いはこの言葉に尽きる。
私の事は私には分からない。前と比べて変わっている様でもあり以前のままで変わらない様でもある。ただ確かに感じる事は、時は流れて周りの様相は変わっているという事。根底に流れる本質や答えは変わっているのかどうか分からない。それでも様相は確かに変わっている。表面の変化に振り回されながら本来の道から遥かに離れてゆくのが人間の歩みなのかも知れない。それを “人間らしい生き方”というのだろう。

人生を60年以上も生きてくると、多少の自分なりの答えは持っているものだ。しかしよく注意しないといけない事は、その答えが一体何のためになるのかという事である。
或る答えを見つけ出したとしよう。しかし人生はまだまだ続いて、時代や状況の変化と共にその答えも色褪せて陳腐化してしまうのだが、それでも過去に見つけた答えを後生大事に抱えて残りの日々を生き続けるのだろうか。

残酷なものである。若い頃に確信をもって見い出した答えはいつの間にか意味のないものに変わってしまう。それを成長というのか自然の変化というのか、ゆく川の流れは絶え間なく変わり続けるのだ。それで良いのかも知れない。書き換えられる事のない答えは「答え」ではないのかも知れないからだ。
その時は絶対無二と思っていた答えが時と共に変容してゆくのなら、その後の私の信念や生き方も変わってゆくのが当然だろう。現実は映画や芝居とは違って、答えが見つかりエンドロールが出た後でも終了せずにまだまだ物語は続いて行くのである。ひとつの悟りからブレずに生き続けることは出来ないのが世俗に生きる者の実態だ。「答え」というものはそれを悟ったその時だけのものの様な気がする。

残酷なものである。どれだけ正しい答えだとしても変容せず時を生き続ける事はない。正しければ正しい程にその身を変え、時代を生き延びて再び私たちの目の前に現われるものだ。正しい答えは滅する事はないが、姿を変えて時には誤解を生みながら生き続けるものなのだろう。
「信念のある答」というものは “正しいという衣を着ずに、誤解にまみれながらも支持されて生き続ける”そういったものなのだと思う。

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閃光仮面参上 [還暦デビュー雑感]

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 闇の世界に騒動を起こす、鬼神より遣わされた冥府よりの使者「閃光仮面」が、今日も修羅となって悪を脅かす。
 ゴロナリ・ウィルスの蔓延によって国民が恐々としている最中に、闇の中から目を輝かして推移を眺めている集団がいた。「東亜報幸会」である。世の中に平和と繁栄をもたらす活動組織として広い人脈を持ち人々から賞賛を得ているが、その模範的な正義から窺える素顔の実態と真の目的とは…。

 少年探偵Aはある誘拐事件を追って場末の廃墟にやって来た。そこには男女を混ぜた子供たち5、6人が囲われていた。どうやら今夜出航する船に乗せられて、海外の或る国に売られてゆくらしい。
 ひとまず彼等を救い出そうとAが閉じられた扉を壊そうとしたときにひとりの男が現われた。最近マスコミで評判になっている、ネゴシエーターXだった。彼は頻繁に起こる誘拐事件の解決の糸口として、犯人を突き止めて交渉する請負人として多くの成果を上げている。
 彼の力を借りて子供たちを救出したAが廃墟を立ち去ろうとした時、またしても目の前に例の不気味な仮面の男が現われた。以前もどこかでAの取り逃がした窃盗犯を独自で捕まえてリンチに懸けていた覚えがある。
 「お前は何者だ!? また僕の邪魔をしようとするのか!」子供たちを守ろうと身を盾にしたところ、その不気味な仮面の男はもう一方のネゴシエーターXに掴みかかって行った。

 どうやら仮面の男の目当てはネゴシエーターXだったようだ。しかし正義の味方の交渉人に一体何の問題があるというのだろう?当て身で気絶させたXを手に持ったロープで無造作に絡め取ると、仮面の男は餌を銜えたモズのように闇の天空に消えて行った。

To be continued…


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