お正月に思う [還暦デビュー雑感]
還暦も越えて六十数回目の正月が来た。年越し参りは家族を置いて一人で出かけたのだがコロナ禍の中で人出は少なく、四十年近くの年越し参りの中で初めて見る人影の少ない神宮だった。時代なんですねぇ…。
これを境にお正月の風景は少しばかり変わってゆくのかも知れない。人出は戻るだろうが不要不急の判断がしっかりされて今回わかった不要と思われる事柄は来年には影を潜めているかも知れない。そしてこれまで習慣やしがらみで考える事なく続けて来た事柄が不要と判断されて切り捨てられる可能性ありだ。
時代と共に様々な物事が消えてゆくのは私の様な年寄りになると残念な気もするものだが、それも時の移り変わりの必然で要不要も時代の尺度で変遷してゆくのだろう。
これを境にお正月の風景は少しばかり変わってゆくのかも知れない。人出は戻るだろうが不要不急の判断がしっかりされて今回わかった不要と思われる事柄は来年には影を潜めているかも知れない。そしてこれまで習慣やしがらみで考える事なく続けて来た事柄が不要と判断されて切り捨てられる可能性ありだ。
時代と共に様々な物事が消えてゆくのは私の様な年寄りになると残念な気もするものだが、それも時の移り変わりの必然で要不要も時代の尺度で変遷してゆくのだろう。
お正月の風情もすっかり変わったが昔を懐かしがっていても仕方がない。自分の胸の内にしまって一人で愛しみながら楽しむが良いのだろう。「昔はこうだったああだった」と語ってもひとときの雑談でしかない。酒の肴になれば良い方だ。
この先、何度も時は巡って正月はやって来るが、豊かとまでは云わなくても一家団らんや仲間たちと過ごす正月のひと時をDNAに染みこませる機会は少なくなってゆくのだろうか…。
この先、何度も時は巡って正月はやって来るが、豊かとまでは云わなくても一家団らんや仲間たちと過ごす正月のひと時をDNAに染みこませる機会は少なくなってゆくのだろうか…。
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