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問わず語り 老いたる者は語らず [徒然随筆]

社会の基準は変わってゆくものだ。日々のニュース・マスコミ解説やSNSでの評論を見るたびに時代によって物事の是非の基準は変わってゆくのだとも思い、世の中の事件や政界の解説などにしてもよく本質からズレたものを感じる事がある。
過日の安倍元首相襲撃事件に関するコラムで過去の明治時代にあった伊藤博文首相のテロを持ち出して語っているものがあったのだが、これには違和感を感じた。思想的政治的な意図のある過去のテロに対して、安倍元首相の場合は全く
違った暴徒によるものだからだ。思想的なテロを肯定するわけではないが、それと単なる暴徒を綯交ぜにするコメントに底の浅さを感じざるを得ない。時事ニュースや社説にしても論者にそれなりの肩書があるからと云って正しく論じているとは限らず、間違った軽薄なものが多くなったと思える昨今である。
こんな事だから知らぬ間に情報操作されて洗脳されたり、あらぬ方向にミスリードされてしまうのだろう。かつての大戦が止められない状態になっていったのが、ある意味で我々市民に責任の一端があるというのもこういった処かも知れない。

しかし考えてみれば、そんな古い昔の定義を正論として絶対視して語るのも間違っている様な気もする。昨今の時評に取り巻かれて成長する若者たちが築く世の中を、根本的に否定していては未来に希望も見つけにくいものだ。博物化した過去を頑なに礼賛するよりも、進化か退化かは分らぬが変化する現実を受け入れる事も大切かも知れないと思う様になった。

時代の解釈で生きている。それがその時代に生きているという証しだ…と言うよりも、生きている時代の解釈でものを考え語るしかない。たまに時代を超えた解釈でものを考え推し進めた人がいたが、そんな人は周りから狂気と言われ殆ど多くは挫折する。(突然変異的に革命家の様な人物や思想が生き残り、世界を変える事もあるけれど…)
多くの場合は、その時代の解釈によって歴史的事実は塗り替えられ、ある意味で “勝者の歴史”になってゆくもだ。歴史の真実は「語られぬ中にこそある事が多い」

老いたる者は語らず。歴史を作ってゆくのは若い人たちに任せて、己の真実を抱きかかえて墓に持ってゆくのが、この世を悟った老いたる者の身の振り方だろう。

うめぐさ切り株.jpg

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