SSブログ
還暦猫ミカン ブログトップ
前の10件 | -

還暦の猫 その17「最終回・新しい世界へ」 [還暦猫ミカン]

ミカンもの思い.jpg

 一時期は十一匹の猫たちと暮らしていた事もあった。それがいつの間にか、それぞれ病気や事故でいなくなってワシは一匹で暮らしていたが、先行きも少なくなってきたニャと思っていた頃に新参猫がやって来た。
 体の張りもプリプリで若々しく活動的な新参猫は、新しい世界で自分のテリトリーを確保するために一生懸命ニャのだ。ワシの領域にどんどん入ってくる。初めの頃はうとましく邪険にしていたが最近では餌を譲ったりトイレも共有するようにニャった。

メロンの表情.jpg

 新参の若い猫を見ていると、様々な部分で価値観の違いを発見してワシもそろそろ “お役御免”かなと思うようになってきたニャア。一匹のままで暮らしていた時は考えなかったが、若い猫が来てみると「禅譲」という言葉を思い出す。重荷になって来た自分の身の振り方を考えると “自主的な引退”というヤツが頭を占めるんだニャ。
 引退のその先はこれまでとは違った新しい別の次元で生きてみたいと思う。禅譲してその場を引退するという意味は、ワシにとっては新しい世界に偏見のない価値観をもって足を踏み入れる事ニャんだ。まずは今の世界を総括してから真っ白な気持ちで旅立つことにしようニャン。

ミカンぼんやり.jpg

 窓辺でのんびり何をするでもなく時を過ごしていると様々な回想が頭をめぐる。猫の脳は小さくて人間ほど色々複雑なことは考えニャイけれど、人生…いやニャン生を総括して良い時間だったニャアと思った。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
還暦の猫は今回をもって一旦終了します。

ミカンうつ向き.jpg

nice!(10)  コメント(0) 

還暦の猫 その16「これからも生き続ける…」 [還暦猫ミカン]

人間たちの生活環境もコロナ禍の影響もあって、ここ数年でガラッと変わったようニャが、よく見ればワシの周辺も様々に変化した様子だニャア。
ご主人も歳を取ったせいか、あまりワシと外へ出たがらなくニャった。住まいを本宅の横に庵を構えたのでワシとのコミュニケーションも少なくなったようニャ。
同居している孫たちも随分成長して三人の孫たちは今年から全員小学生になるんだニャ。それに新参猫も今ではすっかり家族の一員となって、ワシにも気遣いながら近寄ってこようとする。

外を眺めるミカン_b.jpg

ワシもすっかり老け込んでご隠居さんの生活ニャのだが、日々移り行く外の景色を眺めている。
時として頭をよぎるのは、この行く先の冥府のことだろうか…。そんなに遠い先の事ではない気がしている。果たしてそれはどんな形でワシの前に現われるのか。

外を眺めるミカン_c.jpg

まぁそれは兎も角として、まだまだワシは生きることに専念せねばニャるまい。猫族には生きることを諦めるという観念はないから「生きる限りは生き続ける」というのが当たり前の常識ニャのだ。死を目前にしたときに初めて死に場所を求めて誰の目にもつかない処に旅立つ。それが猫としての誇り高い一生なのだ。
あまり深く考えることはニャいけれど、まだまだこれからも生き続けるつもりだ。

外を眺めるミカン_a.jpg

nice!(12)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

還暦の猫 その15「還暦猫VS新参猫」 [還暦猫ミカン]

新しい子猫がやって来てワシの身辺も何かと変化が訪れた。ワシ自身が歳をとって食欲の衰えたせいもあるが、そろそろ隠居生活に入ってワシの立場を譲る時が来たのだニャと考える。猫の世界ではわざわざ禅譲しなくても若い猫が自分の才覚で地位を掴んでゆくので何も考える事はないのだが、それよりもその後のワシ自身の身の振り方をどうするのかだニャ。
人間たちは歳を取ると「終活」とかいうものがあるらしいが、ワシら猫族にはそんなものは無くって、ただ死期を感じると誰の眼にも触れない様に、建物の隅の一角に安らぎの場を求めに向かう。実に潔く粛々とした猫族の儀式なのだニャア。

玄関でのミカン.jpg

とは云えまだ墓に行くには早いのでもう少しこの世を楽しませてもらおうと思っている。どうやら世間は年の瀬らしく人間たちは慌ただしそうにしているが、ワシら猫族にはそういった時間感覚はないのでただ一日一日を噛みしめて生きているわけだニャ。無計画に生きていると言われればそういう事になるかも知れニャいが、それが猫族の存続のセオリーなのだから仕方ないニャ。

新参の子猫はどうやらここの家族に受け入れられたようで安心して眠っている。拾われて来た時には体中が泥まみれで怯えていたが、今ではすっかり自分のスペースを確保した様子だニャア。まぁワシもこれでひと安心といったところだが、年明けからはワシとの主導権争いが始まる事だろう。ワシとしてはそろそろ “すみっこ暮らし”に移る気持ちでは居るんニャけれどネ。
新年から我が家では還暦猫VS新参猫の新しい構図がはじまりそうだニャア…。

メロンの家から02.jpg

nice!(10)  コメント(2) 
共通テーマ:日記・雑感

還暦の猫 その14「令和世代がやって来た」 [還暦猫ミカン]

“還暦の猫” などと呼ばれて、すっかり門番のお役御免でひねもすのたりと暮らしているニョだが…最近少しばかりボケも入ってきた様子でやや不安な毎日を過ごしているんだニャ。
そんなワシの日常を揺るがす一大事がやって来た!な…なんと!ミャーミャーとうるさい鳴き声を発する子猫がやってきたニョだ!それもオスで、将来はワシとのテリトリー争いを予想させる。なんでまたこんなヤツが飼われることにニャッたのだろうか。

じ〜じとミカン_2107.jpg

とは言え、家族の一員として迎え入れられたからにはワシも冷たくする訳にはいかないニョで、早速あいさつをしようと顔を近づけたのだが恐がられてしまった。初めからナメられてはいけないと思って「フーッ」と吹いたのがいけなかったニョか、子猫との付き合い方を知らないワシにはなかなか難しいファーストコンタクトだったニャア。
一時期は我が家に十二匹もの猫が居て賑やかだった時期があったが、その頃のワシは今よりずっと若くて元気だったから何も恐いものもニャく平気だったのニャが…歳のせいか若い新参者には遠慮をするようになってしまった様だニャ。時々顔を出して寝転ぶこともあったリビングから足が遠のいて別室に引き籠もることが多くなったもんだニャ。

メロン写真02.jpg

別に無理をしている訳でもニャいのだがどうやらこれは猫族の本能のようで、新しい世代がやって来たら旧世代は上手に身を引く習わしがDNAにインプットされているのだろうか、自然と身の振り方を変えてゆく様だニャア。
ワシも初めは対処の仕方に戸惑ったが、いまではご隠居宜しく距離を置いて日々を過ごしている。ご主人たち人間の世界でもこういった世代交代はあるのだろうが、話によるとあまり上手な “禅譲”はなされていないようだニャ。

考えてみれば大勢いた仲間たちも少なくなって、いつの間にか一匹ぽっちで過ごすことが多くなっていたもんだニャア。時代も平成から令和へと変わって新しくなったことだし、ワシもそろそろ隠居を考えねばならない歳になって来た様だニャ。まぁひとつ若い世代とも付き合ってみるとするかニャ…。

縁側のミカン_21A.jpg

nice!(13)  コメント(0) 

還暦の猫 その13「コロナ禍での近況」 [還暦猫ミカン]

近頃よく家の前を土木工事の車が行き来する。若かった頃はそんなものニャンとも思わなかったのだが、歳を取ると車の音にもビクついたりしてしまう。
そして部屋の隅で居眠りをしている事が何よりも幸せな時間にニャった。老いたものだ…と思う様にニャって何もかもが若い頃と違い不自由になった気がするんだニャン。周りの悪友たちも居なくなって、世代はすっかり若返った感じがするんニャ。遊び相手もいなくなってご主人のくれる “十歳以上用”のペットフードを食べていると、ますます年老いた気分になって来る。

老猫ミカン_居眠り.jpg

ご主人は今、保健所に勤めていて毎日コロナ禍に関わって仕事をしている。14日間の待機を強いられている帰国者や濃厚接触者に連絡を取り、体温や健康状況をチェックして管理をしているんだニャン。意外と知られていない医療現場での問題や実態を間近で見ていて、世間で言われているコロナに関する風評を “それは違うんじゃないか”とか言いたくなるそうだが、基本的に個人情報に関わる守秘義務を強いられているため勝手な事は言えないわけだニャン。人間というヤツは本当に面倒くさそうでよく分からないニャン、どうしていつも物事の主従が逆転して、どうでも良さそうな事を第一番にもってきて肝心な事が後回しになってくるのだろう?コロナ禍対策もまだまだ七転八倒で時間がかかりそうだニャン。
そう言えば、最近飼い主のない野良猫たちを見かけなくなったがこれもコロナ禍が影響しているのだろうか…。ご主人の勤める保健所にも “猫が舞い込んで来て迷惑している”という電話が増えたと言っていたニャン。平和な時は可愛がっていても、黴菌がどうだ感染がどうだという事になると迷惑がられるものなんだ、我々猫族は。マスクを付けられスプレー消毒をさせられていた仲間がいたニャ。

ミカン_眠そう.jpg

コロナの影響で人間の生活様式が変わったらしいが、我々猫族には何の変化もない。過去から未来にかけて人間の作った社会の流れに表面上は合わせているだけで、猫の生活様式なんてそんなに大きく変わるものじゃないからニャア。変わらず流れに乗って生き続けている我が猫族をどうか末永く見守って下さいニャ。

階段のミカン_H30.jpg

nice!(20)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

還暦の猫 その12「老猫ミカン 任侠を語る」 [還暦猫ミカン]

この家に棲みついて早17年、還暦猫のワシも人間に換算すると84歳にニャるらしい。どうりで近頃衰えを痛感するようにニャったわい。ご主人も最近は出不精になって家の中でゴロゴロしている事が多い。二、三年前は精力的に絵を描いている姿を見たが、そう言えば最近はあまり絵を描いている様子もないニャア。そもそもワシにはなんで絵なんぞを描いているのか分からないので、描いていてもいなくても違いなんぞは無いのだが。

老猫その1.jpg

ところでこの前、ヤクザを生業にしているという輩がご主人のところに来て世間話をしていた。このヤクザというやつがワシには不可解なものに見える。ヤクザを名乗って看板を揚げ生業をやっている輩がいるがどうやらそれは違うらしい。言葉だけ聞けば一見カタギと同じ様に生活をして微笑ましく聞こえるが、それはヤクザの本筋とは違っているんだニャア。
我々猫族の世界でも“ヤサグレ”というノラ猫とはまた違った輩がいるが、そんなヤサグレ達は自分のテリトリーをわきまえて決してワシたちの餌場を荒らしに来たりはしない。それが“ヤサグレ道”というやつなんだとワシらも認めて共存している。
しかし、ヒト世界のヤクザというのは最近は見栄も体裁もなくなってカタギの生活圏に顔を出すようになったらしい。“半グレ”という愚連隊風の似非ヤクザが横行しているのでヤクザ者と一把
ひと絡げにするのは間違いなのだが、それにしてもヤクザのイメージが失墜しているようだニャア。そう言えば先日ご主人もぼやいていた。30年程前まではまだ任侠道を掲げる組があったけれど、最近ではあまり聞こえてこないらしい。組の事務所に掲げられている「任侠」の額も体裁ばかりで、いつだったかメルカリで売りに出されていたような話も聞いた。ワシも猫ながら人間社会の凋落に心配してしまうニャ。
建前ばかりの人間社会で、せめて超法規なヤクザの生き様だけでも守ってほしい気がしている今日この頃のワシなのである。

うめぐさキモノミカン.jpg

nice!(19)  コメント(4) 
共通テーマ:日記・雑感

還暦の猫 その11「世界はどうなるのだろう」 [還暦猫ミカン]

まったりとしている。外は少し寒くなってきたけれど、最近はあまり外出をしなくなってベッドの上でゴロゴロしていることが多くなった。もともと一日12時間以上の睡眠を必要とする習性だが、近頃は夜の外出も控えめにして昼夜問わず寝ていることが多くなった。
人間はそんなワシを見て“気楽なものだ”と思っている様だが、猫族の世界には猫族の大変さがあるのだ。例えば、いつ如何なる時でも常に食の心配をしていなくてはならない。今は運の良い事に、家猫として飼われていて美味しいペットフードを与えて貰っているがこの先どうなるか何の保証もない。年金が下りるわけでもないし家を追い出される事もあるかも知れない。犬族の様に人間と信頼関係で結ばれているわけでもないので、無頼の猫族は見かけによらず心細い日々を送っているのだ。

ミカンベッドで02.jpg

人間の世界とは考えの基準が違っているから何とも言えないのだが、この家のご主人様たちを見ていると日々を無駄に過ごしている様に見えてしまう。それを人間世界では文化水準が高いと云うのかも知れないが、ワシから見れば生きる事以外のどうでも良い事に精を出している様に見えて仕方がないのだニャ。
猫族の世界には宗教というものは無いのだが、人間世界には色んな宗教があって中でもキリスト教の教義の中に、キリストが言ったか言わぬか知らないが「人はパンのみにて生きるにあらず」という言葉があるらしい。ま、含蓄を含んだ言葉で解釈されているがワシに言わせれば「生きものは生きるために生きている」というのが真理なんだニャア。それ以外のものは本当かも知れないが人それぞれであって、人それぞれの後付け的な理由に過ぎないというのが猫族の見解なのだニャ。

核保有問題、人権問題、南北経済格差問題etc. 人間の能力では応えきれないくらいの様々な問題が語られているけれど、どれとして決定的な答えは出ていない。答えの見えない討論を延々としている人間たちは何と暇なのだろうかと思ってしまう。猫族のワシにはもっと現実的で有効性のある問題がいっぱいあって机上論を語っている暇はないというのが正直なところなんだニャ。
真夜中の夜会に出て若い猫輩たちともコミュニケーションをとる事もあるが、たまにこれからの世界についての話題が出る事がある。猫族にとっての“これからの世界”とはどうやって生きてゆくかという命題があるのみで、人間の様に原子力やら核やら格差社会といった話は考える事も無い妄想の様なものだ。人間たちにはそれらがとても大切な問題という事らしいが、果たして本当にそうなんだろうかニャア?

庭先ミカン_02.jpg

nice!(12)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

還暦の猫 その10「老猫の黄昏」 [還暦猫ミカン]

台風の日に我が家にやって来て早16年が経つ、還暦猫ミカン。猫にも認知症というのはあるのだろうか、最近の動作からは若い頃には見られなかった“老いの雰囲気”が伺える。私が若かったらそんなものは感じなかったかも知れない。やはり自分を投影して感じ取っているのだろうか…。
今年の夏は一段と暑かったせいかあまり食欲もなかったようだった。夕方になって涼しくなるとぼんやりとしながら玄関先で夕涼みをしている。どうやら一匹だけ友達もいる様なのだが近頃はあまり顔を見せない。何を待つとも何処を見るともなく、過ぎゆく時を眺めている様だ。

玄関ミカン_190802.jpg

元気で活発だった日々が今となっては懐かしい。猫にも過行く時間が分かるのだろうか?いずれこの世を去る事もその後の世界のことも感じ取っているのだろうか?
人間の多くは黄昏を前にしてあたふたとする姿を見受けるが老猫たちは悠然としている、というよりはそんな終末思想は持ち合わせていないかのようだ。


人間たちは我が猫族のことを自分たちの世界の延長線にある様に考えている様だが、実はまったく無関係の関係なのだニャン。人間たちの見ているものを我々が見ているとは限らないし、また我々の見えているものが人間たちに見えているとは限らない。そういう意味では我が猫族の方が哲学的とも云えるかも知れないニャン。
我々も朝日が昇るのは見えるし黄昏どきに夕陽が沈むのは見えているけれど、それによって一日の終わりとも思わないしそんな区切り方はしていない。そして当然のこと黄昏が命の終わりを象徴しているとも感じた事はない。老猫にとっても幼猫にとっても等しく“今がすべて”であり今に全神経を集中しているんだニャン。

玄関ミカン_190801.jpg


nice!(14)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

還暦の猫 その9「冬の終わりの或る日のつぶやき」 [還暦猫ミカン]

 ジャズを聴きながら暖まっていると至福のひと時を感じる。何にも犯されない魂の空間というものを、我が仲間たちは知っているニャろうか…。獲物探しの猟をするばかりが生業ではニャい。若い猫たちならいざ知らず、還暦の猫ともなれば趣味探究の至福の生涯を知らなければこの世に生まれた醍醐味を知らずに終わることになるんだニャア。

1903_暖ジャズ.jpg

 最近は歯がめっきり弱くなって食の好みも変わってきたようだニャ。猫の食事情に無頓着な我が家の給食には相変わらず硬いペットフードが混じっているので仕方なく頂戴しているが、本当はもう少し柔らかい高齢者用のものにして欲しいのが正直な気持ちだ。数年前なら食欲旺盛だったものがやはり歳のせいか食べる量も減って来たようだ。食欲はバイタリティのバロメーターとも云えるらしく、減退は夜の行動範囲にも影響する様だニャ。最近は夜会も億劫になってそろそろ猫社交界からも引退かなと思い始めている。
 そういえば何日前だったか、近所で可愛い子猫を見掛けたニャア…。ひと昔前に同居していて姿を消した姪猫「コブチ」によく似た容姿だった。猫族界では血縁などというものは何の意味も持たないが、それでも同じ屋根の下で過ごした家族には特別な想いが残っているものだ。“情”では結ばれない猫族の繋がりだが動物的な力関係というものはいつの間にか出来上がるもので、幼猫時代からの成長道程と培われた世界観が全体社会を形成してゆく…って難しい話になっちゃったニャア(苦笑)

ミカン椅子上ヒーター.JPG

暖房とジャズのあるご主人の机上で想いに耽る…還暦の猫にとって世俗的死活を離れた至福の時間でもある。有り難ニャ、有り難ニャ。

 

nice!(22)  コメント(4) 
共通テーマ:日記・雑感

還暦の猫 その8「猫の額を思索する」 [還暦猫ミカン]

 最近ふと思ったことがある。2,3年前頃は猫の身になって猫の視点で考える姿勢があったが、近頃の私はどうやら自分のモノサシで判断しているような気がする。猫の眼で見て猫の感じたままを猫の価値観で捉えてみたいのだが、それはなかなか難しそうだ。心の余裕が少し無くなった様にも思える。心の余裕が無いと他者の身になって考える事が難しい様に、猫の気持ちも推し量れなくなる様だ。自分の精神状態のバロメーターかも知れない。

 改めて気を取り直して我が愛猫ミカンを顧みてみると、還暦猫は還暦猫らしく若かった頃よりも物事に対して深く熟考するようになった様にも思えるところがある。考えの浅はかさを言い表す言葉に「猫の額」という表現があるが(確かに猫の額は小さくて脳ミソも小さそうではあるけれど)果たしてそれほど考えのない生きものなのかと言うと疑問がある。
 我々人間のする事をじっと観察している時もあるし、食事の摂り方もその時々で対応を変えて学習能力もありそうな感じがする。決して考えのない単細胞には思えない。最近の感情的で思考が浅く簡単に殺人を犯してしまう人間どもの方がずっと単細胞に見える程である。

階段のミカン_B.jpg

 ところで、一般的に額の広さと頭の良さは比例すると言われているが本当にそうだろうか?そもそも頭の良さの基準というものを考え直してみたい。
 「頭が良い」という言葉には様々な意味が含まれていて、例えば物分かりの良い“利口”“理解”という意味もあれば、物覚えが良い“記憶力”や推理、洞察といった“聡明”という意味もある。だから頭が良いなどという言葉は人間の創った形容詞の様なもので何ら自然界や世界を語るものでは無いのだ。
 だから彼等猫族には頭が良いとか悪いとかいう区別・差別はない。能力に応じた“生き方の向き不向き”はあるけれど、それを人間界の様に不公平だとか不平等だとか訴える事はない。そもそもそんな事を何処の誰に訴えるというのだろうか?誇り高い猫族は自分の生き方の決定権を他のものに預けたりせずに唯我独尊で生きている。それを我々人間は“知恵のない馬鹿な生き方”と言うだろうか?そう言う人間こそ知識的階級に支配され従属する“気骨の抜けた生きもの”に成り下がってはいないだろうか?

階段のミカン_C.jpg

 「猫の額は小さい」と言われて結構、それがどうしたという声が聞こえて来そうだ。人間に限らず生きものは全て肉体と魂から成り立っていて、そのバランスの中で生きている。互いの足りないところを“補い合って存在する”ことが生きるという事の本当の意味なのだ。猫の世界でも還暦を過ぎた猫は特に調和の中で自覚しながら生きているようだ。それまでの高所に登って高いところから獲物を狙う生き方から、身近な餌を自分に見合った量だけリスクを冒さず手に入れて命を繋ぐ処世に変化した感じである。
 小さな額を大きく見せようなどとは決してしない、キャパを越えて過剰に脳力を詰め込もうとはしない。そんな“額の小さな生き方”が還暦猫ミカンの世界を憤ることなく成り立たせているようだ。

 

nice!(14)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感
前の10件 | - 還暦猫ミカン ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。