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還暦の視座 [還暦デビュー雑感]

【還暦の視座】
十二支ひと巡りが五巡して60歳
輪廻を繰り返す中で辿り着いたのは次元の頂き
そこから眺める景色は360°澄み切った視界良好天上天下
人生六十年今生の蹉跌を受け入れることで
越えたる我を覚り 新たな視点を求める

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還暦を経たからこそ考えられること。 [還暦デビュー雑感]

頭に浮かんだ言葉がある。「青春の蹉跌~還暦の再興」
「青春の蹉跌」というのは映画にもなった石川達三のベストセラー小説のタイトルなのだが私はこの言葉が気に入っているせいもあって文言表現のコンセプトに使うことがあった。何の間違いも犯さず人生を生きて来れた人なんていないと思うけれど、自分の愚かさとどう向き合って来たかという事はあまり考えない人が多いように思える。言わば“愚かさの自己認識”というやつなのだが、あまり建設的なイメージが無いので大方は控えているというより意識にも上がって来ないのだろう。
これまで気づいてこなかった事、気づかない振りをしてフタをして来た事それらを解放することは(勇気がいる事なのかも知れないが)還暦を経て失うことなど何もないと思える気分になった者こそが出来ることのように思える。そういう視点で考えれば高齢者と言えどもまだこれから充分にやれる事は残っている筈だ。“高齢者にも頑張ってもらおう”という様な行政の都合に急かされるものでなく、自己の内から生まれる意欲なら乗っかっても良いのではないかと思っている。

還暦号-2017.jpg

『SDGs』(持続可能な開発目標)という国連の採択したコンセプトテーマを知って、これが本気の発想なら世の中は良くなる可能性を持っていると思った。今までにない新しい概念だからだ。こういった新しい概念と指針は老若男女、高齢者と若い世代が協力し合って築く気持ちが無ければ確立出来るものではないと思える。現在の様な高齢者にとって生きにくいと言われる社会状況を生み出したのは、今の若い人たちではなくかつての若者だった今の高齢者と云われる人たち自身が作った基盤の上に成り立っている事を知らなければならない。若者たちも高齢者排除の社会を作ってしまえば、いずれ自分たちが高齢者になった時にそのしわ寄せを受ける事になる。
高齢者としては、基本的に自分の事だけを考えるなら世間からリタイアしてなるべく関わり合いを持たずに生きる方が気楽だろうと思うが、そんなに都合良くはいかないだろう。これから世の中にどのような風が吹くかは分からないが、これまでに老人と呼ばれる高齢者が満足に受け入れられた時代は無かった様に思う。

開陽丸_A.jpg
 ↑ 行き場のない幕閣の有志を乗せて“脱走艦隊”とも異名をとった『開陽丸』

時代の流れで江戸幕府が崩壊して明治政府に移行した頃に幕府の多くの家来たちは行き場を無くして右往左往した。その時に彼らに新天地の開発を呼びかけたのが幕府高官の榎本武揚だった。旧時代の価値観が激変し崩れた時に生き直すには、新体制に順応するか別の新天地を開拓するふた通りがあり、新政府から無用の長物とされ削除された武士たちは自分たちの価値を認められる開拓地をめざすしかなかった。

こんな話を持ち出したのは現代の高齢者の立場がまるで幕末の徳川家来の様に思えたからだ。そして行く先の見え難くなった高齢者こそ、還暦の視点、つまり人生を一巡して輪廻の流れに入った境地で新しい世界に顔を向ける、生き方の模索をした方が先が見えるのではないかと考える。

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令和~還暦からの始まり [還暦デビュー雑感]

令和の天皇は数え年で還暦を数える天皇である。明治から今日に至るまで還暦で即位された天皇は初めての事と考えると、この時代ならではの持つ特徴的な意味が感じられる。
これからの日本は熟年を経たことを自覚して進んでゆく事が必要だと思われる。実はもう既に未体験ゾーンに入り込んではいるのだが、まだまだ未来像が見えにくい時代を過ごすことになりそうだ。どうもこれまで教わって来たセオリーの延長には閉塞感こそあれ役立つものは何もなさそうだ。

そこでひとつブレイクスルー的な転換を打ち出してみた。従来の発想から脱して若い世代と共に未来の模索を共有するという考えだ。年寄りはどうしても過去の成功事例や古き良き時代と思われる過去に固執してしまう。そんな小利口な発想を捨てて裸のゼロになった状態でこの先を見つめる事が価値ある生き方に繋がる事を知ることだ。
ここに みうらじゅん著『ない仕事の作り方』という本がある。これくらい頭を柔らかくしてこの先未来を思い描く事が大切なのだと思う。


これまでには無かったことを敢えて現実化させようとする心意気が必要なのだと思っている。曲がりなりにも「還暦デビュー」などと音頭を取るからには高齢者としての前向きな思考を模索してみたいと考える様になった。
高村光太郎は『道程』という詩の中で“僕の前に道はなく、道は僕の後ろに出来る”と詠っている。…そうなんです。私たちが築くことの出来るのはこの先の道なのでしょう。過ぎ去った過去ではないし、過ぎ去った価値の概念でもない。セオリーというものはこれから作られる中に発見されるものなのでしょう。

話しが抽象的過ぎる感じがするが、要は“今この時代に形のないものを形にする”という気持ちの持ち方が新次元の扉を開く鍵のように思えます。少なくとも私は新元号の令和時代をその様に生きてゆこうかと考えています。

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御衣黄桜 [還暦デビュー雑感]

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人それぞれに性向・性分というものがあるのだろうけれど、私は若い頃からこの歳になっても花鳥風月を愛でるという趣向が欠けていて、風流が備わらない。
母校でもある高校の事務嘱託として最近勤め始めたのだがそこに御衣黄桜なるものが植えられている事を今更ながら知る事となった。在校生として通学していたのは半世紀近くも昔の事だが当時からあったその桜を(「ぎょいこうざくら」という呼び名さえも)全く知らずにいた。
この『御衣黄桜』は、咲き始めは緑色の桜として花が開くのだが少しずつ色が薄くなり黄緑色から黄色に変化し四月終わり頃になると中心部がピンクに色付く珍しいもので、その名の由来は貴族の衣服の萌黄色に近いためと云われている。御衣黄桜を鑑賞できる代表的な場所としては皇居や京都御苑が挙げられているが、まさか母校の庭に植えられていて、テレビやマスコミの取材にも時々取り上げられているとは知らなかった。

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今回偶然にその事を知って、改めて自分自身が自然風物に関心の薄い人間だなぁとしみじみ感じ入った次第だが、そんな私でも還暦数年前の一時期には自然の風物詩に心誘われた頃もあった事を思い出した。きっと日常的精神的な余裕があったからだと思うが、ゆったりした気分で自然の風景を味わえた時期があった。
同世代の友人は野遊びや山登り海釣りなどで自然レジャー謳歌をしている者も多く、付き合いで話を合わせてはいるけれど正直のところ私は自然風物にあまり魅せられる事はない様なのだ。植物の名前などは常識レベルのものであっても知らなかったりして恥ずかしかったりもするが、そうやって昔から生きてきたのだと思うと「十人十色で人それぞれなんだなぁ」との思いに耽る。

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元号も改まるこの時期に、母校の庭に咲く「御衣黄桜」が高校生だった昭和時代の我が身を思い起こす切っ掛けとなったが、いい年をしても相変わらず「花鳥風月」に疎く自然の草花に造詣の浅い自分自身である事を恥じ入る私であった。

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次元の扉をイメージする [還暦デビュー雑感]

若い頃に“目ざめから眠りに入る境い目”を見極めたいと幾数日も挑み続けた事があった。結局何度も失敗して睡眠不足状態になって、ある時うつつの様な状態で見たのが「白い扉」だった。
40代の脂が乗り切って有頂天だった時代に車で瀕死の事故をした。鉄柱にぶつかるのがあと1メートルずれていたら即死だったろう意識不明で、搬送された時に三途の川の向こうに見えたのが「白い扉」だった。
魂は時空を超えることが出来るが、肉体は生きているこの次元でしか存在することが出来ない。「白い扉」というのはこの次元と別次元の境い目の事であり、どうしてもそれを確かめたかった私の空想の産物なのだろう。

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「次元」という概念を捉えた時に例の“白い扉”が頭に浮かんだ。本来は形のない存在すらもないものが次元の境い目なのだが大方の人間は残念ながら有形の何かに託さないと対象を掴めないものなので(神を偶像崇拝してしまうのも同じ)その象徴として私の場合「白い扉」が現われたのだろう。
この白い扉を開いて一歩踏み出せば、まるでドラえもんの「どこでもドア」の様に別次元にワープ出来るようだ。生と死の境い目、夢と現の分れ目をようやく掴み取ることが出来たがまだその先を飛び越える気持ちには至らない。念願の生死の境い目を見極めた次の課題は、この先にある別次元を垣間見るための探求になりそうだ。

 

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還暦のビジネス・デビュー [還暦デビュー雑感]

 「還暦デビュー」などというタイトル・テーマを掲げて“前向きに、アクティブに、積極志向で生きてゆこう”と立ち上がってみたが…。その気概は大切だとしても、考えてみれば若い頃とは違って様々な条件・要素が変化してしまっている。そういった時の流れに沿った生き方の転換も“還暦ビジネス・デビューの必須要素”として考えられるのではないだろうか。
 これまで社会の常識として、また自分自身に対しての原則として守り通して来た考え方の枠組みを改めて、世捨て人となった気持ちで飛び越えてみる事が「還暦デビュー」としての第一歩のアクションかも知れない。そしてデビューする意味とはどんな形であれデビューする意志の中にあるという事を発見する。
 通例に縛られて模索する必要はない。そんな模索なら初めから答えは限られて見えている。この歳になってデビューするということは今の自分を晒して世に出ることなのだから既成概念で覆っていては自分の在りたい姿で生き直す事にはならない。

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 若かった頃、販促プランナー兼グラフィック・デザイナーとして事務所を立ち上げた頃の話だが、まだキャリアも認知度も少ない私に仕事の依頼など来ることも無く開店休業状態の日々が続いていた。何かアクションを起こさなければ無収入の現状が変わる兆しは一向にない。
 そこで苦肉の策として架空の受注をイメージして創り出し、現実の仕事であるかのように実践したことがあった。勿論1円の成果報酬もないクリエイティブ計画なのだが、自分の勉強も含めて大変役立った覚えがある。よくイメージトレーニングという言葉があるが、自分の在りたい姿を投影してそこに身を置くことが私の発見した“還暦デビューの真髄”の様に思う。そして更に言えば、自分の欲するコト・モノを商材の基盤としてマッチングさせる発想が自己実現の源元に思える。

 昨今、厚労省は「生涯現役促進の実践業務提案」を全国の役所等行政機関に発令している。行政の意図はどの辺りにあってどのように推進してゆこうとしているのか分からないが、かつて自活自助を念頭に国民にベンチャーを推し進めたような、形だけの旗振りには終わらないで欲しい。
 これから高齢化社会対策の一環としてますます行政は高齢者“元気化推進運動”に熱を入れて来る様な気もするが、高齢者自身は身のほどを知ってそれぞれにふさわしい生き方を発見する必要があるだろう。そして自活が出来ればそれに越したことはないのだが、その中で何らかの収入を得たいと考えるならシルバーにふさわしいビジネスを模索する道をとる事になる。体力も思考力も若い頃と比べて劣った今、居ながらにしてアプローチが出来るインターネット利用のビジネスモデルこそ高齢者にとって利点の多いスタイルだろうと考える。同じインターネットを利用しても、高齢者は高齢者なりの役立て方があるものだ。若者だけの専売特許だと結論づけたり切り捨てたりせず、工夫の仕方を考えてみてはどうだろうか。

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復活の真髄 [還暦デビュー雑感]

これ以上何も望まない人もいる。まだまだ先を望む人もいる。
満ち足りて終焉を迎えようとする人もいれば、満たされない人生をまだ終えるつもりのない人もいる。
一度きりの命と云うことを実感できないままの人は実に多くいる。生きとし生きるものは皆一期一会である事を知っているのだろうか?この肉体が滅び去る様に、今生きているもの全ては存在しなくなる。事実は事実、だからどうしたということも無い。

生きている時間が終わりに近づいてこの身の行く末を考えるようになる。自分と云う存在を意識と肉体感覚で(心と体で)捉えてみれば、確実に一方の肉体という自我は滅することが理解できる。つまり現存するこの社会も世の中も全て無感覚で麻痺して存在しなくなるという事が理解できるようになって、愚かな様々の幻想から解放されるようになる。
無限の中に融合された魂はどのように再びこの世界に現われるのか?融合と分裂が繰り返されながら永遠に存在し続ける魂を考えると、復活とは特別なものではなく当たり前の現象に思えてくる。
「私は私として復活することはなく、他の存在となって誕生する」この自然の摂理を胸に、残りの時間をしっかり生き抜きたいと考えるようになった。

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高齢者の就業機会 [還暦デビュー雑感]

率直に言って、今の私に起業家マインドは全く宿っていないと思っている。だから新しい事業とかビジネスの構想についてモノを言うのは外れているに違いない。しかし、ただ社会に寄生して生きているのはつまらないとも思っている。だから自立心を持って自分の命を自分の力で養ってゆきたいという考えが頭をめぐる。

一応社会からリタイアしたとされる高齢者ではあるが、確かに社会に適応しなければ世間一般には通用しないのが道理かも知れないが、それでは高齢者は(別称でハッキリ言うならば “老人”は)就業で収入を得ることが困難なこの社会なのだろうか?
自分の思いのままに可能性を求めて生きてみたい。今の私で言うならば、それはこれまでの人生経験や生き様を生かした自身の裁量で生きること。それを可能にするにはやはり自分自身で就業環境をプロデュースしてゆく努力をするしかないのだろう。

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「働き方改革」という言葉が流布しているが本来の意味やスローガンの真意を洞察している人は少ないと思う。今の為政者で末端の庶民の事を考える人は少ないと思うが「働き方改革」というコンセプトにしても本来のニーズからズレているのがこの国の政策というものだ。
本当なら大変重要で必要な取組み課題の筈なのだが、人々の期待する答えを導くにはスタッフが貧弱過ぎて叶わないように思える。どんなに素晴らしく期待される命題にしてもこの国の政治家たちに議論させていたのでは正しい答えは得られないだろう。もっと私たちは自立して考える努力をしなければならない。
現代の“姨捨山・楢山節考”は目の前に来ている。

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生き方の話し [還暦デビュー雑感]

【この記事はR60指定です】(^^;)

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人間は60年も生きれば大方は人生について何らかの結論を出しているものでしょう。それぞれが其々の生き方を実践して今日も生きているわけです。他者と比べたり他者を妬んだりといった不毛の葛藤には見切りをつけて悠々自若の日々を過ごしている…かと言えばそうとも限らないようで…まだまだ人生の達人の域には程遠い高齢層が社会的お荷物な存在となることもあるようです。私もその一員として、そんな者に語る資格があるのかなどと云わずに老人のたわ言と思って聞き流してください。
青臭かった時代の青春談義じゃあるまいし、今の時代に「如何に生きるべきか」なんて陳腐に思われるかも知れませんね。しかし、WEB もSNS も無い時代にそういったテーマで喧々諤々と朝方まで討論をしていた時代もあったのです。それが何の役に立ったのかは各自の生き様が語ってくれるでしょう。少なくとも何割かは無駄ではなかったという答えが返ってくると思います。


「ネガティブ・ケイパビリティ」という精神医学用語があります。初めてこの用語概念を聞いたとき軽いショックを受けました。私がこれまで自分の中で自問自答して来た考えが的確に説明されていたからです、それも'70年代という半世紀近くも前からその発想と取組みがあったと言われています。
通常世の中は「ポジティブ・シンキング」を推奨しています。見た目も“明るいヤツ、楽しいヤツ、幸福そうなヤツ”が評価され手本とされ基準とされている様に思います。しかし気が付かない内にそれは模範となって優位性を持ち、優劣の基準となってゆきます。私は若い頃からそんな一方的な価値判断に疑問を持っていて、それは歳を取ってから尚更不満に思える気持ちになりました。自然界は決して平等とは言えないが、人間の決めつける人間社会の不平等には我慢ならない気がします。
話しが脱線しましたが、ポジティブの対極にあるネガティブという存在に光を当てる「ネガティブ・シンキング」はマイノリティの存在に価値を見出そうと考える私には受け入れやすい思考パラダイムとして取り組んでみたいと考える様になりました。


未来を志向しない”生き方を認めることが間違いだと考えない事。“過去に価値を見出す”ことが間違いだと思わない事。登って来た山を下山することをも含めて「山を知る道である」という捉え方を忘れない様に。つまり人生は往きも返りもひとつであって、生も死もひとつなのだとすることを過去の人々は理解していた。
人の一生の本質は未来のためにある訳ではなく、今を生きて「どう生き切るか」にある様に思う。生まれてきた事は自分の責任でもなければ天の使命でもない。満足して命を使い切ることが出来ればそれが最良の“生まれ出でた証し”なのだろう。

「ネガティブ・ケイパビリティ」の基本概念をこれからも追及してゆこうと思います。“答えの無いことを追い求める”…一見矛盾に聞こえますが、これこそがネガティブ・ケイパビリティの精神だと確信しています。霧の中を泰然として歩むことは難しいけれど自分の内に起こる雑念と闘えれば可能な事でもあります。

この文頭に【R60指定】と記した理由、それはこれから未来を切り開いて行こうと思っている若者たちにまるで答えを知っているかのような説教は百害あって一利なしと思うからです。仮に百歩譲って正解を知っていたとしても、それを教えた時点で間違いとなってしまうのがこの世の原則のように思います。「道は無限にある」これが今私の言える精一杯の言葉です。

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還暦号リニューアル [還暦デビュー雑感]

還暦号の外装がマイナーチェンジしました。

これからの私のクリエイティブは「還暦の視点」をベースに展開してゆくと思われるので、その設定に応じたキャラやツールを揃えようとしています。

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人生絵本表現作家・円 蛇丸は還暦号に乗って現在・過去・未来を旅する予定です。
旅路の途中に出会った興味深い出来事は記録に残してゆきたいとも考えています。さてさてどんな展開が待ち受けていることやら…

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See you again! Hasta mañana.


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