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高齢者としての働き方改革 [還暦学講座:第二部]

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高齢者が世の中に貢献できることは何かと云えば、過去に埋没している陽の当たらなかった真実を紹介することもそのひとつだろうと思います。また時代の尺度から見落とされて評価される事のなかった寡黙な真実を拾い上げる事も、時代を生き抜いてきたからこその慧眼の為せる技ではないかとも思います。
アクセルとブレーキを踏み間違えたり、既得権にあぐらをかいて上級市民などと思い上がったり、そんな高齢者は世の中の迷惑の代表選手の様なもので、“成功体験”という言葉が自己開発セミナーなどでよく引き合いに出されるのですが、これはこれからを生きる若い人たちへの言葉なんです。年寄りの成功体験なんて時代と共に消え去られる過去の栄光でしか意味をなさず、そんな事よりも高齢者として自負できる事は本当は様々な環境で揉まれて来たという事なのだと思うのです。

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変わってしまった環境を嘆いていても始まらない。そしてそれは今が旬の中年たちにしてもいずれ訪れる事なのだからその時になって分かる事です。今、目に見えている事態に追従する事を考えるよりも、無駄な心配に時間を費やさず年配の者は自分たちの生かせる場を見つける事が先決なのだろうと思います。
そういった意味で「働き方改革」という政策には期待をしてしまうのですが、よく吟味してみるとガッカリする結果になる様です。誰のための何のための“働き方改革”なのか…やはり他人の作った制度
に頼っていては何事も始まらなくて、世の中の制度とは大体がそんなものなんです。

さてそこで、何をめざして何をするか…?ヒントは「メルカリ」の中にあると思いました。最近はSNSなどのネットを利用して「クラウドワークス」とか「ココナラ」「ランサーズ」といった自分の得意技を活用できるような仕事のシェアリングが行われています。このシステム自体はまだ時間も浅くて整備されていないので、中には如何わしいものもあって100%の信頼は置きにくいですが、これからの働き方を考えるひとつのヒントにはなりそうです。
その中で「メルカリ」というのはSNSビジネスの最前線として試してみる価値がある様に思いました。自分の不要になったものや希少な欲しいものをネットを通して売り買いする、オークションやフリーマーケットとは少し違ったシステムが見られるのですが、これをジャンピングボードにして自分自身のビジネスを形づくるきっかけが出来るのではないかと思うのです。
既成のシステムを複合的に使って、自分のビジネスにとって使いやすい展開を工夫する事が今の時代の高齢者の働き方改革ではないでしょうか。

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還暦の猫 その11「世界はどうなるのだろう」 [還暦猫ミカン]

まったりとしている。外は少し寒くなってきたけれど、最近はあまり外出をしなくなってベッドの上でゴロゴロしていることが多くなった。もともと一日12時間以上の睡眠を必要とする習性だが、近頃は夜の外出も控えめにして昼夜問わず寝ていることが多くなった。
人間はそんなワシを見て“気楽なものだ”と思っている様だが、猫族の世界には猫族の大変さがあるのだ。例えば、いつ如何なる時でも常に食の心配をしていなくてはならない。今は運の良い事に、家猫として飼われていて美味しいペットフードを与えて貰っているがこの先どうなるか何の保証もない。年金が下りるわけでもないし家を追い出される事もあるかも知れない。犬族の様に人間と信頼関係で結ばれているわけでもないので、無頼の猫族は見かけによらず心細い日々を送っているのだ。

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人間の世界とは考えの基準が違っているから何とも言えないのだが、この家のご主人様たちを見ていると日々を無駄に過ごしている様に見えてしまう。それを人間世界では文化水準が高いと云うのかも知れないが、ワシから見れば生きる事以外のどうでも良い事に精を出している様に見えて仕方がないのだニャ。
猫族の世界には宗教というものは無いのだが、人間世界には色んな宗教があって中でもキリスト教の教義の中に、キリストが言ったか言わぬか知らないが「人はパンのみにて生きるにあらず」という言葉があるらしい。ま、含蓄を含んだ言葉で解釈されているがワシに言わせれば「生きものは生きるために生きている」というのが真理なんだニャア。それ以外のものは本当かも知れないが人それぞれであって、人それぞれの後付け的な理由に過ぎないというのが猫族の見解なのだニャ。

核保有問題、人権問題、南北経済格差問題etc. 人間の能力では応えきれないくらいの様々な問題が語られているけれど、どれとして決定的な答えは出ていない。答えの見えない討論を延々としている人間たちは何と暇なのだろうかと思ってしまう。猫族のワシにはもっと現実的で有効性のある問題がいっぱいあって机上論を語っている暇はないというのが正直なところなんだニャ。
真夜中の夜会に出て若い猫輩たちともコミュニケーションをとる事もあるが、たまにこれからの世界についての話題が出る事がある。猫族にとっての“これからの世界”とはどうやって生きてゆくかという命題があるのみで、人間の様に原子力やら核やら格差社会といった話は考える事も無い妄想の様なものだ。人間たちにはそれらがとても大切な問題という事らしいが、果たして本当にそうなんだろうかニャア?

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