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時代の流れに沿ってゆく [還暦の荒野をめざして]

揺るぎない生き方を会得していれば良いのだが、残念ながら老いても未だ至らない。「少年老い易く学成り難し」とは昔の賢者の言葉で、個々の単語の意味・ニュアンスは今とは変わっているところもあるが、人間なんていくつになっても大して賢くもならないものなのだ。

最近、高齢者である私は世間との付き合い方が大きく変わって来た事に気がついた。これまでは歳が往ったらそれに応じて無理をせず、新しい事よりも慣れ親しんだ古い習慣で生きる方が良いと思って来たのだが…。どうやらそれは思い違いらしい。それは気持ちがかたくなで頑固になる前兆かも知れないと思ったからだ。
確かに世の中も私の周辺も、周りの環境はことごとく変わっている。表層的な事ばかりでなく根本的な部分にまで及んで、果たしてこれで良いのかとさえ思ったりもするが、それこそ世の常なのだ。流れゆく時をどう生きるかと云うのはいつの時代でも老いたる者の直面する問題で、そうやって一生を終えるというのも人生の一部分なのである。
古きに心を置きながら懐かしむのも良いだろう。それで癒されるのならそれも良い。しかしそれは一種の“ひきこもり”のようなもので自分を完結させて無事に生きるという方針なのだろう。片や新しい事を取り入れて積極的に前を向いて進むという生き方をめざす者もいるが、これはこれで大変ではある。体力も能力も確実に衰えている中で、更に新しいものを取り入れようとするのだから、時には気持ちと行動がバラバラになって途方に暮れる事もありそうだ。

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いずれにしても歳の往った者はそれなりの時を過ごすことになるのだが、どうしても逃れることの出来ない世の中の流れなら、その中に入り込んで意識して思いっきり付き合うのも一興かも知れないと思う様になった。逆らう事に疲れたわけではないが、逆らう事が自己主張という訳でもないだろうと思ったからだ。“老いては子に従え”という言葉に納得がいかず逆らう事で自分を取り戻すという考えだったが、そんな力んだ生き方も何か違う様な気がする。日々何らかの糧を得ようと思えば世の中と付き合っていかなければ難しい。充分な資産でもあればそれを食いつぶして生き存える事も出来るだろうが、普通の一般人ならそんな事は無理である。人間は結局、好きとか嫌いとかの“情”ではなく、“定め”として他人と関わりながら時代の流れに沿って生きる事が原則なのだろう。そして社会と付き合って生きるという事は、社会の進歩とも足並みを多少なりとも合わせなければならない事を意味している。いつまでも慣れ親しんだ旧態に固執しているわけにもいかず、新しいシステムや約束事を受け入れていかなければならないようだ。

AIの進歩によって人の働き方や生活インフラ、キャッシュレス化などこれから起こるであろう様々なイノベーションが語られているが、“人生100年計画”など政府のスローガンに踊らされるのは嫌だが、踊る阿呆に見る阿呆ならば踊る事も選択肢のひとつとして考えねばなるまい。

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