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無頼の足跡(01) [シニアの書斎]

第一章 終焉への旅立ち

 ようやく覚悟らしいものが芽生えた。少しの当ても期待できず、ましてや何かを頼ることなど更に出来ないこの社会で、これといった資産や資格・特技も持たない高齢者が頼ることなく自立して生きてゆくには、自分の中にある「価値」の様なものを見つけてそれを磨くしかない。
 自分の置かれている立場に改めて気がついた。還暦を経て60歳半ばを過ぎたN雄はいつの間にか後戻りの出来そうにない黄昏に立っていた。前に進むしかない、しかしその前には何も新しいものが生まれる気配はない。では後ろを振り返って、過去に安らぎを見出すか?そんな状況の中で、めげそうな彼の気持ちを奮い立たせたのは医者からの癌宣告だった。
 “最後のひと絞り”…言い回し方、表現の仕方は色々あるが、若い頃から頭に残っていたのはこの言葉だ。学生時代の短距離走でゴール間近からラストスパートをかける時、柔道の試合で起死回生の体落としをかける時。最後の勇気を振り絞る言葉がそれだった。九回裏3点ビハインドの攻撃、ツーアウト満塁で逆転サヨナラホームラン…そんな奇跡をこころのどこかで描いていた。

うめぐさ切り株.jpg

 六十年余り生きて来た中でひとつはっきりと確認できたことは“今の状況を生き抜くしかない”という事だ。目の前の灯が虚ろいながら消えかかっていても、身体から沸き起こる力が衰えていても、この先に何か新しい展開が起こりそうになくても…それでも生き抜くしかないという事だった。
 五十歳を過ぎた頃だったろうか、やけに昔の思い出に浸る時期があった。世の中も昭和レトロブームという状況で懐古趣味が一種のトレンドでもあったからだろう。幼少の時代の色褪せた暮らしが懐かしくて当時住んでいた長屋の跡地に足を運んだこともあった。あの頃のざわめきや喧騒が子守唄の様に心地良く蘇えるのを感じたものだったが…それも目の前から蜃気楼の様に消えかかった現実を忘れるための気休めだったのかも知れない。

 自分を見限って人生に幕を引くにはまだ早い。未練だとか執着だとか言う前に、ここで終わらせる事に本当に納得しているのか自分の胸に聞いてみる事だ。ここが人生の終着点と嘯いていたN雄はある意味でストイックだったのかも知れない。意気込んだ気持ちを肩の力を抜いて、素直に自身を振り返った時に未練がましい子どもの心を見つけた様な気がした。
 「そうだ、旅に出よう」
 まだ若かった十代の頃、世の中に毒されていない無知ともいえる青春をがむしゃらに突き進んだ時代があった。あの頃の情熱は何だったのだろう。中年を迎えた時にはその多くを懺悔してすっかり物分かりの良いオヤジを装っていた。若さをシニカルに自嘲することが大人になった証しの様な気になっていたのだろう。
 “旅に出よう” そう思った時にこれまで止めていた老いの魂が堰を切ったように流れ出すのを感じた。N雄は目の前に広がる未知への不安よりも、そこに向かおうと背中を押すもうひとつの声に奮い立たされた、それは老いたる魂の最後の武者震いだったのかも知れない。

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