SSブログ

高齢者にとってのSDGs [還暦学講座:第二部]

還暦学講座title_02.jpg

SDGsという言葉が最近よく使われているが私も当分の間その考え方に沿ってみようと思っている。
私たち高齢者にとってこれからの世界は今まで通りの考え方では難しい。頼れるものはほとんど無くなったと考えた方が良いだろう。というよりは、これまでの日本の社会が珍しいくらいに快適だったのだ。はっきりと分からないまでも、何か漠然としたものに保護されていた様に思える。日本的甘えの構造という言葉があったが、まさにその通りで私たちは自立してサバイバルに生きる事から逃れて来たようだ。
確かに過去の敗戦の壊滅的な廃墟から復興した活力は評価すべきものがあるが、先人が作り上げた経済復興の仕組みに甘え溺れ過ぎた様だ。そう云う私自身も疑問視することなく快適で満ち足りた生活を求めて来た。それが人間の本来の姿であるかのように肯定しながら、後進世界の悲惨な姿に欺瞞と偽善の声で訴えながら、いずれ来る「死」に向かってのうのうと生きてきた。

通常云われている『SDGs』を全く疑問視せず受け入れているわけではない。20年近く前になるが、かつては『CSR』という言葉がよく言われていて、もちろんその主旨は今でも健在で消え去った訳ではないのだが、ひと時の事を思うとあまり聞かなくなった。国連第7代 アナン事務総長の提唱で広まった “企業の社会的責任”と“サステナビリティ”の発想は一種の流行の様相で私も熱心に学んだものだった。特に日本で生活している私たちは欧米で発せられるスローガンやキャンペーンに乗りやすく思うのだが、この『SDGs』にしてもその類に感じないでもない。
現在の世界で言われている『SDGs』が誰によって誰のためにどの様に実践されようとしているのかは分からないが、私たち日本人の理解の仕方とはきっと別のものだろうと思う。いまだに「御上の思想」で生活を営んでいる私たち日本人のメンタリティでは、SDGsのサブタイトル “No one will be left behind.”を具現化することは難しい。しかしこれは「高齢者を置き去りにしない社会」のコンセプトとも合致するところがある様に思うので私なりに支持して展開してゆきたいとは考えている。でも多分、日本でのSDGsの理解の仕方とは違っているので異端扱いされるでしょう。そういう国なんです、この国は(苦笑)

nice!(18)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 18

コメント 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。