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人生の匙加減について [還暦学講座:第二部]

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「さじ加減」という言葉がある。微妙に調整して程良く按排することである。バランス調整と言い換えることも出来るが、人生のいろいろな場面でこのさじ加減が必要になる事が多い。
使われ方が「忖度」の様に曖昧で胡散臭い場合もあるので全面的には受け入れられていない様だが、還暦を経た高齢者である私たちなら良く理解して都合よく使える言葉だと思うので、今回は「さじ加減」の使い方について語ってみたいと思う。

ある時期から私は人生を生きる中で大事な要素は“バランス感覚”だと思って来た。事あるごとに様々な場所でもそう語る事が多かった。そのバランス感覚を具体的な技術で置き換えると“さじ加減”という事になる。
「人を見て法を説け」という言葉は“相手によってものの言い方を変えよ”という意味でもある。人によって心にしみる言葉は違っていて、万人をひとつの言葉で納得させ感動させようと思うのはただの自分勝手で間違っている。どんなに正しいと思う事でもそれを理解させるためには自分の感情を裏切る“裏腹な言葉”を借りなければ出来ないことがある。正直である事がいつも正しいとは私は思っていないし、正しい形は他にもいろいろあって一方的で一面的なものなどではない。還暦を過ぎた大人に対して講座という形を通して私が言っている事は、そういったこれまで教えられてきた観念を越えるという事なので「さじ加減」という言葉にしてもその様に受け取って欲しい。

つまり若い頃は一途に生きる事が失敗や怪我は多くてもそれが将来の糧になる事が多いと云えるのだが、高齢となってこれからを生きてゆく者にはあまりひとつの考えに執着せず適度な配合のバランス感覚を身に付けた方が“大人らしい生き方”に思えるという事なのだ。
世の中には何事も100%完全なものは無い。全てが不完全で未完成で不揃いなものなのだ。100%の善もなければ100%の悪もないし、100%の正もなければ100%の誤もない。善悪も正誤もそれらが混じりあってそれぞれの形を創り出している。乱暴な言い方をすれば“矛盾の中に全ては存在している。”間違いも正しいもなく、それらの渦の中でバランスを取りながら、今日は東へ明日は西へと模索し続けながら生きてゆく。それが“人生の妙味”と感じられる様になった時が「還暦の齢」なのかも知れない。

<この項 未了 つづく>

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U3

扶侶夢さん こんにちは。
還暦を迎えてから三年半。未だ達観できない小生です(*´∀`*)
ただ、『禍福は糾える縄の如し』だけは亡父から戒めとして云われて肝に銘じている言葉なので、どんなに好調な時でもその裏には不運が潜んでいると心掛け、けして油断しないようにしています。
小生は「絶対という言葉はあれど、絶対という実体はない」と思っています。この世は無常だと思えば拘ることもないと思う次第です。
それでも達観も悟りもなく、未だ恥多き人生を歩んでいます。
by U3 (2020-04-04 12:05) 

扶侶夢

>U3 さん、ご来訪&コメント有難うございます。

>「絶対という言葉はあれど、絶対という実体はない」
…いい言葉ですね。キリスト教的原始西洋社会では「初めに言葉ありき、神は言葉なり」という一節が表わす様に、言葉イコール実体に近い感性がありますが、私は日本で生を受けて日本の暮らしが長いのでどうしても言葉と実体を乖離させて考えてしまいます。

>禍福は糾える縄の如し
この言葉も的を得ていいですね。私は縦糸と横糸の綴れ織りという風に人生を捉えていますけど、縄の様に表現しても納得です。この発想も西洋思想からは生まれない(あるとしても表裏一体くらいかな?)東洋独特の発想ですね。
by 扶侶夢 (2020-04-05 16:09) 

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