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無頼の足跡(02) [シニアの書斎]

 どこまで、何にも頼らずに生きてゆけるのか、そんな事は幻とどこかで分かっていた筈なのにN雄には確かめたい気持ちがあった。正直なところ、体力はすっかり衰えて中年の頃に頑張りの元となっていた粘りは影を潜めているが、ここ数年の間自粛して封印して来た腕白で我が儘だったかつての意気が少し頭をもたげてきた様に思った。
 これまで何度か痛い仕打ちを受けて、人生を甘く見ていた自分に喝を入れて悔い改めた筈だったが、もう残されている時間が少ないと思ったとき無性に何かに命を賭けてみたくなった。しかし命を賭けると言っても、言葉通りの命懸けには能力も体力も許さないだろう。残りの人生を賭けて一途に打ち込むという事が高齢となった男の執れる最善だ。

 二人の子供と四人の孫に妻を含めた三世代住居の隣にN雄は自分だけのねぐらを構えている。この年齢になってようやく得られた自身の自由な空間だ。残りの人生で果たして読み切ることが出来るのか不明だが、数千冊に及ぶ書物と映像コンテンツに囲まれた、書斎と呼ぶのが相応しいかそれとも庵と呼んだ方が良いのか、彼にとって体の一部のような空間である。
 俗世界から切り離されて自由に泳げる思索空間に棲んでいると、なんだかこの世に永遠に生きている事が当たり前のように思えてくるのだが、しかし時として漠然とした不安に襲われることもある。それは、これまで生きてこられた不思議さでもありN雄の感情を支配して離れないのは、いずれ必然的に死を迎える事への避け難い無力感である。

 
黒の時代_雨の中.jpg

 無頼で生きてゆくことは所詮叶わぬ願望なのか、そんな事にうつつを抜かす事が近頃のN雄にとっての課題となっていた。この頼りない世界でこれからも生きてゆくには何かしっかりとした足跡の様なものを感じたいという、それは人生の終焉…近づく終わりの時を感じ取った心細さから来るものだったのかも知れない。

 かつて二十代だった頃に鈍行列車に乗って一人旅をしていた事があった。JRが民営化される前、日本国有鉄道という仰々しい名前で全国を旅するキャンペーンを打っていた頃、山口百恵の『いい日、旅立ち』という歌を口ずさみながらN雄はD51を追いかけ日本全国を旅したものだ。何という晴れ晴れとした日々だっただろう…。金も名前も何も持つもののない独り身だったが、とどまる事のない時間と風の流れに乗って若さを満喫していた。恐れる事を何も知らないこの頃は、まさに「無頼」を実感していたと言えるかも知れない。
 どこまでも続く線路の様に、N雄もまたいつまでも続くと思っていた呑気な旅路はある時何の前ぶれもなく終着した。それはこの先、無頼で生きる事の難しさを臭わせていたのかも知れない。彼はこの先続く “無頼への模索”を予感し始めていた。

<…続く…>

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