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-08- 魅惑の歴史遺産 [欧州アルバイトヒッチ]



 地獄のヒッチもさすがに限界にきていた。隣の運転手は眼を開けているよりも閉じている時間の方が多くなってきていた。正しく言えば「ほとんど眼をつぶっている!」
 と、その時、急にトラックの運転を止めた。目の前にはロッジ風のペンションがあり、運転手は言った。
 「今晩はここで泊まることにする」
ドアを開けてさっさとペンションのフロントに向う運転手のオッチャンを呆然とながめていた。
 「…泊まる、って言われても…オレは助手席でどうしろと言うんだ?」
これから先の事を考えると無駄な宿泊費は節約したいし、まさかヒッチハイカーの自分の宿泊まで面倒はみてもらえないし、第一もうオッチャンは奥に入ってしまって見えなくなってしまった。「仕方ない、ここでおさらばだナ…」そう考えて助手席から外へ出た。
 辺り一面真っ暗で地面は完全に雪に覆われている。とぼとぼと歩き始めたが、今夜はここで野宿するしかないと覚悟し始めた。しかし野宿はいいけど、こんな雪の中で眠ったらそれこそ明日の朝には凍死体になってるかも知れない。以前にヒッチハイカ−同志の話題で“ノルウェーの雪の中で野宿して翌朝死んでいたアメリカ人”の話しがあったのを思い出した。
 とにかく地面に雪が無くて、屋根のあるところを見つけねばならない。しばらく歩いていて、ようやく民家らしきものを発見した。垣根を乗り越えて庭に侵入するとベランダ屋根が目についたのだった。
 「もう、ここしかないなあ…これって完全に不法家宅侵入罪だけど」真夜中に他人の庭先に侵入して寝るなんて、見つかったらヤバイぞとは思ったが、凍死するよりマシだと考えて強行する事にしたのだった。
 翌朝は人気のない内に見つからないよう立ち去らねばならないので緊張感が走ったが、無事に眠れた安堵感とちょっとした犯罪者の気分だった。

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↑ インスブルックのユースホステルでヒッチの計画を練る



 ミュンヘンからオーストリアのインスブルックに入った頃、不覚にも熱を出してしまった。さすがに真冬の雪中での野宿がこたえたのか体中が悪寒に襲われて震えが止まらなかった。
 しかし、それでもヒッチのペースを遅らせる訳にはいかないので(お金が少ないから早く物価の安いアフリカに入らないといけなかったのが理由だった)日本から持参した「風邪薬ルル」とビールを混ぜて飲み、一晩で直してオーストリアを後にした。(この時の効果に感心した私は、今でも風邪をひくとこの方法を使っている)

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↑ イタリア郊外では子供たちがフットボールをしている風景がよく見られた(上)/ドイツ人夫婦のベンツに便乗。アウトバーンを快調にとばす(下)



 オーストリアから北イタリア地方に入り、その後ミラノ、フィレンツェ、ローマ、ナポリと街々を訪れたのだが、イタリアはさすがに素晴らしく美術的で歴史遺産を感じさせる街ばかりだった。
 特に感動的だったのは、オーストリアから国境を越えて北イタリアに入ったばかりの名もない村で一夜を過ごした時、そこで目にした光景だった。
 ヒッチで捕まえた車が山岳地帯からなだらかに北イタリア地方に入ってゆくと、突然雰囲気が変わった事に気がついた。何となく中世ヨーロッパの雰囲気が漂い始めたのだ。お城やモニュメントなどの特別な派手さはなく素朴な田舎の村なのだが、道には石畳が敷かれ、狭い車道を走れば何度となく石造りの短いトンネル門をくぐり抜けた。夕闇のせまる村を走り抜けたのはほんの数分間だったが、これまでチロル地方を走ってきた風景とは全く違うものだったので印象的だった。

 そこは地図上にも記されていないような小さな村で、時間も遅くなっていたので車をおりて運転手に別れを告げ、さっそく宿泊先を探した。たぶん一軒しかないであろう民宿を宿泊先に決めて、荷を下ろし夕食をとるとホッとした気分になる。村内を散歩してみようと外に出るとかがり火のゆらめく灯が目についた。灯りに誘われるままに石造りの建物に囲まれた四角い広場に向うとそこは村人の集う憩いの広場になっていた。
 それほど広くもない空間だが、ところどころにタイマツの灯がゆらめき、端々にテーブルと腰かけが置かれている。夕暮れ時の憩いの場には老若男女が集い、それぞれに談笑していた。
 遠くの空から時おり鐘の音が響くその石畳の空間に立って、私は日本で観た「ロミオとジュリエット」の映画のワンシーンを思い出していた。広場の一角から馬車の蹄の音が聞こえてきそうな、野外オペラでも始まりそうな実にクラシックな光景だった。後にフィレンツェでも感じたが、このように素朴な日常生活の中にクラシックな美が自然の形で息づいているという事が私には印象的だった。

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↑ ルネッサンスの発祥・フィレンツェは古典の香りが漂っている



 ミラノは現代感覚の色彩が所々に見受けられる素晴らしい街だった。インテリアやファッションなど街のショウ・ウィンドウを眺めていると日本では見る事のない色彩のセンスを感じられた。
 全体的にビビッドな感じだが、その中にやさしさやユーモラスな意気を感じた。帰国して後にブルーノの絵本を見た時に、私は改めてミラノで出会ったイタリアン・カラーの絶妙な配色を思い出したものだ。
 ミラノからフィレンツェに着くと、今度は一気に古典の世界に入り込んでしまう。私はイタリアでの興味はローマの「フォロロマーノ遺跡」でシーザーやクレオパトラと同じ場所に立つ事だけで全く予備知識もなかったので、フィレンツェの歴史的遺産を目の当たりにした時は驚きと感激があった。「ドゥオモ」と呼ばれる寺院が代表的なものだが、私は「ポンテ・ベッキオ」という庶民のお店が並んだ橋上生活の一角に味わい深いものを感じた。とにかく隅から隅までメディチ家の伝統遺産に埋もれた街で、私は3日程いたがとても味わい尽くせるものではなかった。

 


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