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還暦百態物語<11> [シニアの書斎]

【フィクション/還暦百態物語~その11】

じいさんの顔.jpg

この歳になるとそう簡単に恋は出来なくなるものだ。突然に始まって幻想の中で終わった私の年甲斐のない恋の顛末を語ろう。考えてみればもう二十年近く恋なんて云うものとは縁が無かった。四十代の頃はまさに人生の絶頂期の様で、ゲームのような付き合い方も楽しんでいたものだったが、それがある時から潮が引くようにピタリと止まってしまっていた。興味の対象が変わったとも言える事は言えるが、何よりもその部分の活力の様なものが無くなったというのが正直なところだろう。
ところがそんな風に結論づけていた自分にまさかの展開が起こったのだった。週に三日ほど出勤の嘱託として役所に勤めていたのだが、ある日ふと顔を上げると少し離れた目の前のデスクに働く可愛い女性と目が合った。呆気に取られて思わず彼女の瞳にくぎ付けになっていた私に好意的な微笑を送ってくれたのを見て益々有頂天になってしまった。もうこの歳になると熱に絆されて暴走する事はなくなっていたが、自分の中で何か理屈づけをして彼女のくれた微笑を私に対する “好意”と受け取りたいと思っていたようだ。いつの間にか私の中で妄想が始まり、
彼女と二人の世界で過ごす時間が始まっていた。お茶を飲んだり映画を見たり、まるで若かった頃の恋人気分の日々が再現された様だった。
「年甲斐もなく」という言葉がぴったりと当てはまっていた。髪をかき上げる彼女の仕草に過剰に反応して親指を立てた “ナイス”のサインを送ったり、昼食時には机でスープを飲む彼女に “おいしそうだね”とジェスチャーしたりと、離れているからこそのコミュニケーションを楽しむこともあった。しかしそんな他愛無いやり取りが彼女を自分の世界に閉じ込めるキッカケになっていたようだ。私の出したサインに気づいていなかったり、見ても何の意味か理解できず反応が無かったりすると、何となく拗ねた気分になる事があった。自分の存在を他者とは違ったポジションに置いて欲しいという独占欲の変形願望が芽生えていたのだ。自分を特別視して欲しいという、今風の若者には見受けられない “昭和生まれ特有”のエリート願望が頭をもたげていた。
こういった前時代的な感性が自分自身を時代から遠ざける原因である事も気づかず、私は我が儘な子どものままで大人げない態度を晒し続けていた。そして愚かにも彼女が退社する頃に駐車場で待ち受けてお茶を誘ったのだった。
駐車場に立っている私を見て彼女は驚きの表情をした。そしてまるで近づいてはいけない様な態度で茫然と距離を置いて立ち止まっていた。私が近づいて誘いの話を切り出すと、突然の考えてもいなかった問いに戸惑って、咄嗟に「行けません」という答えが帰って来た。それは考えてもいなかった相手から秘密を打ち明けられたような「どうして私が?」という困惑と迷惑の入り混じった感情である事を、その時私は悟ったのだった。

嘱託勤務を辞めてからもう二年近くが過ぎている。今はパートで会社の警備をやって体が鈍らないように気をつけているが、恋愛もどきの感情はあの時が最後だったと改めて思っている。恋に身を焦がすという様な感情はもう現実には起こらない、起こったとしてもそれは飽くまでも幻想の世界でしかないという事を覚っている私だった。

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 この読み物はフィクションで構成されているショートショートの習作です。 

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