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二極分化の世界 [還暦デビュー雑感]

我が国では様々な分野で二極分化が進んでいる。そして高齢者のライフスタイルも例外ではなく、悠々自適もあれば未だに生活費を稼ぐために労働している者もいる。誰が音頭を取っているのか知らないが、世の中は表面的にはスマートで美しい体裁に覆われて、泥臭くてダサい暮らしや生き方は見えないところに追いやられている様だ。追いやられたというのは裏側に追いやられた訳で、知りたくもない現実は見えない様にしてしっかり存在している。

還暦の身の振り方を語ったり思索を示したりしてもそれは飽くまでも自己満足で、実際にはそんな言葉は誰の思いにも届かないというのが現実だ。もうこの歳になれば各々が自分なりの生き方を決めていて、他人があれこれ言ってもそう簡単に自己の考えをひっくり返す事はない。それでいいのだと思う反面、残された時間を同じ過ちを繰り返して生きる事に合点のいかない不条理を感じる。
あきらかに貧富によって条件が違っていて、高齢者を一概に同列にして語れない事が多いのだが“貧すれば鈍する”という事は事実の様に思える。
この国は歴史的にある時代から(たぶん江戸時代から明治にかけて)“お上(かみ)にぶら下がって生きる”DNAが受け継がれて来た。そのために二極分化が顕著になってもそれをひっくり返す機運は生まれない“穏やかで不甲斐ない気質”の高齢者が増えてしまっている。本来なら間違った固定観念を刷新して教育改革の音頭を取るのはそれ相当に歳を経た年配者の役目である筈なのだが、残念ながら我が国では“物言わぬ高齢者”が殆んどのようだ。

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残念な事に今日の時代に打ち立てられた二極分化は、次の若い世代が中心となる時代に引き継がれてゆきそうだ。生まれながらの格差は時間を戻すことも出来ずその延長を受け入れるしかないとすれば、二極の離反と葛藤こそが歴史を作ってゆくことになるのだろう。
時の力に流されて、時には反発し時には同調し、自分の意思のままには生きれない事を知ったときには残された自由の時間は僅かしか残っていない。
そんなものなのだこの世というやつは。今ごろ気づいたところで逆転サヨナラの大穴狙いなんて幻想で、全てに於いて“時すでに遅し”なのである。だから我々は後悔の念に生きるよりも、唯一の選択に全力を尽くすしかないのである。

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